山口光市母子殺害事件


暇だった施設時代、なにげなく手にとった「天国からのラブレター」を読んでから、
ずっと気になっていた山口光市母子殺害事件。

あまりに有名で、説明する必要もないかもしれないが、事件の概要を。

1999年4月11日、
当時18歳の少年が、強姦目的で本村洋さん(23)宅に侵入し、
主婦の妻・本村弥生さん(23)と娘・夕夏ちゃん(11ヶ月)を絞殺。
弥生さんのほうはそのまま屍姦までした後、
家にあった財布を奪ってその金で逮捕されるまで遊び歩いていた、というもの。

あえて「強姦」「屍姦」という乱暴な表現を使っているが、
こんな所業を決して「乱暴」「婦女暴行」なんて
婉曲な言葉であらわすなんてできない。

「加害者が少年で、死刑にできないというならば、さっさと釈放してほしい。
 私がこの手で殺す」

事件当時に行われた記者会見で洋さんの発したこの言葉は峻烈で、
結構センセーショナルに報じられていたと思う。



そして今日、7月に引き続いて差し戻し控訴審が行われた。
法廷に遺族が立つということは前から聞いていたので、
今回の控訴審はことのほか注目していた。

女手ひとりで娘を育てあげ、初孫を抱くことが出来たその直後に
その娘と孫を最悪の形で失った弥生さんの母は、意見陳述でこう訴えたという。

「娘と孫がどんなに苦しい思いをしたのか自分の首を絞めて実験してみました。
 被告人はこんなむごい形で娘の命を奪っておいてまだ自分の命が惜しいのですか。
 真実の裁判をしてください」

洋さんの発言内容や戦い方は結構反論を呼びこむものではある。
けれど、逆にそこまで強く世間へ訴えなければ、
世間も忘れ去ってしまっただろうと思うと、とても責めきれないとも思う。

日本では、殺人罪で裁かれる場合、死刑が上限となっているが、
この被告に極刑が下らなかったら、司法は一体誰に極刑を下すつもりなのかと問いたい。

あのね、自分ら一般市民にとっては、
法解釈とか、被告人がその時どういう気分で二人を殺したかとか、
そういうのはどうでもいいんだよ。
大切なのは、
「この被告人が犯した罪は、どの程度の罰がふさわしいのか?」
っていうことなんじゃないのか?
そして、被告人にとって知りもしなければ、まして罪もない若い女性を強姦目的で殺害し、
うるさいからという理由で赤ん坊まで殺してしまう、
それは最上級の罰をもってしてもまだ足りないんじゃないか?

それは素人の意見だ、法は……前例は……と言われるかもしれない。
でも、司法って自分のような一般市民のためにあるものじゃないんですか?
あくまで法の専門家っていうのは一般市民のためにいるもんじゃないのか?
これは傲慢か?

ちなみに被告人の家庭環境は結構ひどかったようだけど、
私の母などは両親を十代のうちに喪って、
親戚から冷たい目で見られながら育ってきたので
「こっちだって頑張ってきたのに、
 そんな卑劣な犯行の理由に親を使うなや!
 自分の責任やろうが! ほんまに腹立つ!」

と怒っているし、私だって施設を転々として私なりに苦しみ抜いてきたので、
そういった態度は腹が立つし、迷惑だ。

何にせよ、被告人は日本に死刑がある限り、死刑になって欲しい。
死刑にならなければ、私は日本という国家を信じられなくなる気がする。
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by esther21 | 2007-09-20 21:15 | 日記  

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