身の振り方を考える


サムちゃんが1月一杯、サウジアラビアのメッカに巡礼に行くらしい。

……困った。





そもそも私たち一家は、サラが生まれたことを報告しに、
また、サラの割礼をさっさと済ませてしまうために、
12月の後半を丸々使ってパキスタンにお里帰りに行く予定でした。

これが前回(?)までのあらすじ。

で、

「いーちゃん、
 なんかな、サムちゃん、1月一杯おらんらしいよ?」

「……

 ……は?( ゚Д゚)」

「なんかな、パキスタンから帰るついでに、
 パキスタニー仲間の人と聖地巡礼してくるんやと。
 だからな、1月はお母さんと、いーちゃんと、さーくん(サラ)の3人暮らしだよ」

「はいい!?」

真相をサムに確かめてみた。

「うん、そうだよー」(あっさりと)
「……(;゚Д゚)」

両親は自覚してないが(そこが周囲に問題視されているのだが)、

これはまずいことになった。

そもそも中学生の2年絶縁を続けていた我ら母子。
この絶縁、一方的に私が行ったものですが、
何故12歳の子供がそこまでせねばならなかったのか、から説明する必要があります。

そもそも怒りだすと暴走して人の話を聞かない傾向のあった母。
思うとおりにならないと包丁を振り回したりする、
一般的に言うところの「ヒステリーな人」ってやつでした。
それでも、幼少期は甘えて媚を売ったり、
母が怒っているときにはひたすら黙秘するというやり方で、なんとか
包丁は見るだけで済んでいたのですが。

決定的におかしくなったのはやっぱり家庭が崩壊してからでして。
さんざんこのブログでも書いたように、いわゆるプチ虐待母と化しました。
ありがたいのかそうでないのか、解離のおかげで、
ほとんどの記憶の反芻にブロックかかってますが、
覚えている3回の殴られた原因は、

「テストを親に見せなかった」(しょっちゅうだったがこの時だけ)
「学校に行かないと言い出した。
 月曜だから給食当番のエプロンを持っていかなくてはいけないのに。この無責任が!」
「母と話をしなくなった」(後述)

というわけで、父親のいないとき(三つ目除く)を狙ってガンガン殴られてました。
特に二つ目なんか包丁が刃こぼれしていたため、負傷こそしなかったものの、
膝裏を刺されました。
これは命の危険……と、子供ながらに一所懸命頭を働かせまして、

「会話するから、その端々に
 いちゃもんをつけられるんじゃないのか?
 完全に存在を無視すれば殴られないんじゃないのか?」


というわけで、話しかけにも無視。子供っぽい挑発も完全に無視、を決め込みました。
結果は直後につけられた三つ目のいちゃもん以降、
児童相談所の介入もあって、以後は殴られずに済みました。(多分)
功を奏したわけです。

時過ぎて3年後、
父子家庭にしても生活が崩壊し、行くところがなく、施設にもなじめなかったため、
仕方なく母親の元に転がり込んだわけですが、
ヒステリックな母親の性格っていうのは、これ、変わらないものでして……。
今も、サムの仲裁やらなにやらがあって、ようやく成立している親子関係。
一ヶ月もサムが抜けるようなことがあれば、冗談抜きで、
弟か母親か俺かの誰かが、死にます。本当に。

今のところ、両親は楽観しているようですが、
正直、周囲で楽観しているのは両親だけ。

担任に相談し、相談室教諭にも相談し、精神科の主治医にも相談し、
今度の水曜日には児童相談所にも根回ししてきます。

寮になるか入院になるか、はたまた施設にトンボ帰りか、
一時的かしばらくずっとかすらも分かりませんが、
何にせよとりあえず1月中は家を避難しなくてはいけない状況に陥りました。

サムがメッカやめるって言ったら楽なんですが、
あの人はあまりこの事態を重要視していないみたいだしなあ……。

……困った。
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by esther21 | 2007-11-24 20:50 | 家族  

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